でもね、紙面の都合でもっといっぱい書きたかったことをカットしました。
このブログで全文を投稿しますので、興味のある方は読んでみてくださいね。
生まれつきの左利きで隔世遺伝で色盲を受け継いだ私は、父親や周囲の大人たちから「ぎっちょ」と呼ばれ、文字は右手で書けと言われ小学校に上がるまで決して文字を書かず左手で絵ばかり描いていました。
小学校に上がると担任の先生が理解のある方で両親に利き手の強制は性格まで変わってしまうと話していただき左利きのままで過ごすことができました。
でも、いったん絵を描くことが身に付いてしまい少年期は勉強よりも漫画を描くことに明け暮れていました。
中学の時に男子生徒に行われる色盲検査で引っ掛かり大学での精密検査で赤緑色盲と断定されました。
色盲は遺伝なので、悪化することもなく改善もされません。
絵の好きな私にとっては死刑宣告、でも美術教師からの「色盲の人は独特の色遣いやな。」の言葉と高い評価を糧に造形とボールペン画に力を注ぎました。
その後も飛行機やバイクなどのスケッチを趣味としていましたが、結婚後に妻から一輪の百合を渡されて「これ描いてみない?」と言われたのがきっかけに植物画や風景画に打ち込みました。
その時の職場(旧第二中央病院、現在のあすかい病院)で何枚か書き溜めた絵を披露すると当時の課長から患者さんへのバースデーカードとして使いたいと申し入れがあり、提供を始めました。
全くの独学で彩色を学び、赤緑色盲のハンデを乗り越え、「いわさきちひろ」を敬愛し模写を繰り返しました。
ある日、職場でエレベーターを待っていると一人の患者さんに呼び止められて「あの、こんなものを頂いてどなたにお礼を言えばいいのかな?」と言われた方の手に私の描いた絵がありました。
その後、創刊された「いつでも元気」誌の絵手紙コーナーに投稿すると、なんと数か月連続で採用されたりもしました。
病院での患者会でも提供した食事に添えた献立に描いた絵を、参加された患者さんが大事そうに持ち帰ってくださったり、偶然患者さん訪問でお邪魔した御宅でその絵が額に飾ってあったことは驚きでした。
今の職場である「老健茶山のさと」でも毎月の行事食に達筆の主任とコラボしてカードをすべての利用者さんに提供しています。
行事食には当然美味しい食事を楽しんでいただきますが、私の描いた絵を見ながらお食事されている風景はとても喜びです。
また、何人かの利用者さんのベッドサイトにはその絵が飾られています。
たった一枚のつたない絵ですが、施設暮らしの利用者さんたちに季節を伝え喜んでいただいている実感です。
現在、定年を過ぎ嘱託勤務ですが退職後はのんびりと大きな風景画に取り組むことと東京のちひろ美術館を訪れることが夢です。
今の目標は、もっとたくさんの「絵手紙」を描き貯めておくことです。
調理師:小畠